【実施日】令和5年12月18日(月)18:00~19:00

【テーマ】地域の小規模多機能病院の役割について~東日本大震災から12年の記録~

【講 師】気仙沼市立本吉病院 院長 齊藤 稔哲 先生

【参加者】9名

 先生には「1.小規模多機能病院とは 2.震災後の本吉病院の歩みとこれから 3.医師を志し、本吉病院で働くに至るまでの選択」の3部構成でお話し頂いた。

 

1.小規模多機能病院とは

 小規模多機能病院とは先生が小規模多機能型居宅介護からヒントを得られ、ネーミングされた。

 地域医療の対応領域の図を示し、小規模多機能病院の1つの柱は、「1000人の住民すべてを対象にしながら、200人の外来患者を診療し、10人の重篤な病気の発生を予防する活動である」と説明された。また、小規模多機能病院を「需要に基づく医療の提供」、大規模病院を「供給に基づく医療の提供」と対比提示され、その違いを明確に説明頂いた。

 需要に基づく医療の提供について、「患者さんの困りごとを診るのではなく、困りごとを持つ患者さんを診る。患者さんに今後大きな困りごとが起きないように全人的に診療する。地域で困っている方を見過ごさない。専門ではないから診ないというのではなく、限りはあっても、限りを狭めず対応する。」と説明された。

 

2.震災後の本吉病院の歩みとこれから

 本吉市は、東日本大震災によって道路や公共交通機関が寸断され、医療だけでなく地域崩壊が起こった。

 当時、供給に基づく医療では地域は支えられず、需要に基づく医療への転換を図る必要性があり、災害時にも対応できる医療の仕組みづくりに着手された。まさにこのコロナ流行期にはその仕組みが実践版として活き、地域の生活を支え続けることができたそうである。しかし、来年度から気仙沼市の医療の需要に基づき医療体制を変化させることになり、本吉病院は外来と訪問を残し診療所化した本吉“医院”となるそうである。

 地域に医療機関を残すことが大事で、地域から医療がなくならないように知恵を働かせることが重要であると話された。

 

3.医師を志し、本吉病院で働くに至るまでの選択

 先生の医療への関わりの初めは、「死が怖い」に端を発し、人が死んでいく過程に関われば、死がどんなものか理解できるかもしれないというという「死からの回避であった」と話された。

 先生が小児科を選択された理由や血液腫瘍学を専攻された理由、生きる基本に立ち返ってみようと臨まれた浜田市での農業研修についてお聞きした。先生は農業研修を行って、医師として働いている時には味わえなかった幸福感や生活から医療を見つめなおす切っ掛けになったそうである。ただ、農業だけで家族を養っていくことは難しく、地域の中で医師としての役割を担いながら生活することを決断された。

 また、行政や診療所でも勤務され、今の診療所連合体の仕組みを築かれた。先生は本吉に帰られたことを「自分の地元に震災が起き、理性ではなく本能で帰ってきた」と話された。

 先生は、これまで医療に関わってきて思うことを、次のようにまとめられた。
 ・死が怖くて進んだ医療の道
 ・生きる人との関わりの面白さ、やりがい、奥深さを感じるようになった。
 ・将来を見通して活動することも大切。見通しきれない将来に悩むよりも今現在の環境に耳を欹てることも大切。(何がきっかけになるかわからない)

 先生ご自身が病を得られ、「今まで癌の患者さんに接していた自分と今の自分では接し方が変わった。共感の幅が広がった。この広がった幅から聞こえてくる需要に応える」と話された。そして「『ある』を支えるのが医療だと考えていたが、終わりがある『ある』に対して、どうあるのか。どう『ありたいのか』を一緒に考え支えるのも医療の役割であると考えるようになった」と付け加えられた。

 先生が語られる言葉にはいつも実践から生まれる哲学や知を感じずにはいられない。本当に尊いものは実践からしか得られず、先生の診療の喜びの先に患者さんの笑顔が見える。

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