【テーマ】精神科医「も」いろいろやっています
【実施日】令和4年7月20日(水)18:00~19:00
【講 師】島根県立こころの医療センター精神科 部長 高尾 碧 先生
【参加者】25名

【概 要】
 先生は島根大学のご出身で、現在島根県こころの医療センターの精神科部長、厚生労働省委託事業DPAT事務局の参与である。

“N=1の話なので、参考になるかもしれないし、ならないかもしれない”などと前置きをされて始まったWebinarであったが、タイトルの“精神科医「も」いろいろやっています”をドーンと通り越して、「いろいろすぎる経験!!初めて知る初めて出会う精神科医!!」と驚きの連発であった。

 先生は、「第1部:なぜ精神科医になったのか」「第2部:これまでやってきたこと」「第3部:これからやりたいと考えていること」の3部構成でお話しされた。

 第1部では、生い立ちから大学時代、初期・後期研修、専修医研修ついてお話し頂いた。

先生は、お母様が精神保健福祉士で、幼少期から認知症の高齢者とデイケアで一緒に過ごす経験を持たれていた。


医学部では最初から精神科医を目指されたそうであるが、「大学に入り初めて、精神科医は認知症を診るだけではないことを知り衝撃を受けた」と話され、そのことに聞き手も若干衝撃を受けた。

また、大学時代は「勉強以外は頑張った」と気持ちの良いほど言い切られた。

大学祭の実行委員長、バレーボールでは中四国大会準優勝、アルバイトは出雲大社・家庭教師・結婚式場のコンシュルジュなど社会勉強に力を入れ、心肺蘇生法サークルでは西日本の大学20校以上に教えて回られたそうである。

学生の質問に対し「医療領域だけでなく地域とコミットとしていくような学生生活をしていく事で臨床力が高まる」と回答された素地はここにあった。


初期研修は島根県立中央病院で実施され、出雲駅伝などの医療班にも加わりmass gatheringについても考える機会を得られたそうである。


後期研修では「緩和ケア+精神科」に関心を持ち、数ヶ月国立がん研究センター中央病院での研修にも臨まれた。


その後、国立病院機構肥前精神医療センターに勤務され、医療観察法、精神科救急、災害(DPAT)に携われたそうである。


 第2部では、学生時代の心肺蘇生法サークルから、東日本大震災の医療救護班、DMAT隊員登録、mass gathering medicineの経験を踏まえて、災害精神医療としてのDPAT事業についてお話し頂いた。


熊本地震、広島・岡山豪雨、静岡県土砂災害でのDPAT活動の実際について、調整本部の組織体制、構造と役割、患者搬送・避難所における心のケア等多くのデータや画像を基に教示頂いた。


また、「災害への対応は社会の成熟度を示す。災害支援に行く事だけが災害対応ではない。自分の地域での脆弱性を無くす取り組みが重要である。」というメッセージが印象に残った。


例として教示頂いたハザードマップと避難場所の確認、食品等のローリングストックについて考える等、出来る事から取り組んでいかなければならないと感じた。
 第3部ではこれからやりたいことをお話し頂いた。


先生は県外から帰って来て、トリートメント・ギャップの問題など島根だからできないと思うこともあったそうである。


しかし、1人からでもできることは多いので、“繋げる・広げる・深める”の精神で、「島根にいるから救われない人を減らしたい」、また、「精神科(医)に対するネガティブな印象を払拭できるように、ポジティブな側面や面白さを伝えていきたい。」と話された。


少なくともWebinar聴講者は、これまでの精神科や精神科医に抱いていた印象が、大きくポジティブな側面にシフトしたのではないかと考える。


 Webinarでの先生の語りは、弁舌爽やかによどみがなく、聴き手側の集中力を最後まで切らすことがなかった。


お話を伺って、総じて先生の人間的な魅力が人を引き付け、人と人を繋げるのだと感じた。


先生の基本的なスタンスとしてご紹介頂いた「迷った時の返事は2つに1つ『はい』か『YES』」、「その時々で自分が『これだ!』思えるものなら、機会を逃さず前のめりにやる」といった姿勢が、今回のテーマと象徴的に繋がった。

 

先生

会場

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