比良先生比良先生

【テーマ】キャリアを積む上での心得

【実施日】令和4年9月2日(金)12:15~12:45

【講 師】島根大学医学部附属病院高度外傷センター 講師 比良 英司 先生

【参加者】26名

【概 要】

 先生は現在、高度外傷センターで講師として”島根県のPreventable trauma deathを0%にしたい”とご活躍である。先生のお話は『どんな医師になりたいですか?』という学生達への問いかけから始まった。先生ご自身は、『離島に行っても、一人でなんでも診ることのできる医師になりたい。』と思われたそうである。

 先生は、日本で初めての生体肝移植に成功された永末先生(当時の教授)の情熱に惹かれ外科に入局された。卒後2年目以降、県内の病院に出向されて、経験値の少なさを補うために全科当直や検査室、小児科・整形外科に足を運び、手技など経験を積まれた。また、心停止の患者さんを救うことができなかったことを切っ掛けに、心肺蘇生法(AHAコース)のインストラクターを取得された。

 その後大学院を経て、他県の病院に勤務された。この病院では部長よりも先に一通り患者さんを診て、毎日の廻診時に患者さんの状況を報告するスタイルをとり、信頼を獲得されたそうである。
自分で道を切り開き、信頼を得ることを教示頂いた。

 卒後8年目、心肺蘇生法を学んだ六日市病院では、生まれ育った土地から離れたくない患者さんの意向を汲み、ベッドサイドに付きっ切りで透析治療や緩和医療を践されたそうである。地域には医療の原点がある。ないものは沢山あるけれど、与えられた環境の中で精一杯患者さんと向き合えば、得られるものはものすごく大きい」と話され、印象に残った。

 卒後10年目で大学に帰られ、外科医としての技術を磨かれる中、外傷外科・救急外科・外科的集中治療への思いが沸々と湧き、2外科の教授に相談され辞めることを決断されたそうである。そして卒後16年目に、西日本最大の救急救命センターである、りんくう総合医療センターで救急救命医としての一歩を踏み出された。高度外傷を専門とするトップレベルの医師たちと働き、“重度外傷は助かる”ということに衝撃を受けられた。また、外科医として成長したことで得られた役割もあり、コミュニケーション能力だけではなく、やはり技術も伴うことが大事であると痛感されたそうである。

 りんくう総合医療センターでも重要メンバーとして働いている時に『島根大学高度外傷センター』の立ち上げのスタッフの一人として声がかかった。「どっちか迷ったら、険しい道を進め。」との先輩からの言葉を胸に『島根大学高度外傷センター』の立ち上げメンバーの一人として島根に帰ってこられた。最初は、スタッフもわからない未開の分野であったが、“できない理由を探すな!できることからやろう!”と声を掛け合い、現在の高度外傷センターへの基礎を築かれた。

 最後に、学生たちへは「人脈をたくさん作り、好きなこと・興味のあることをとことんやれ」と激励され、「無駄と思えても無駄なことはなく、何かは将来へとつながり役に立つ」と話された。先生のパッションあふれるお話しに刺激を受けた講演であった。学生にとってはなりたい医師像の一人になったと思われる。